お知らせ

第112回講演会のあとで

令和5年10月7日講演会『悲劇の捕虜収容所が国際交流の場へ』その後

令和5年11月11日。第113回五智歴史の里文化講演会が終了しました。
講師の土屋美枝(つちやよしえ)さんによる『日本音楽教育の母・小山作之助の世界』は、講演の後半に土屋さんが代表を務める「コーラスおおがた」の女性合唱団が、美しい歌声で会場に華やかな彩りを添えてくださいました。この一風変わった「文化講演会」を、出席者の皆さんの大拍手で終えることができました。

ところで、先月10月7日に行われた近藤芳一講師(前上越日豪協会会長)による第112回文化講演会『悲劇の捕虜収容所が国際交流の場へ』への賛辞がいまだに止みません。来館者から寄せられる感想コメントや、お礼の電話が今なお多数寄せられています。

本日の第113回の終了後も、出席者の皆さん数名から、「捕虜収容所があったなんて近くに住んでいながら全然知らなかった、教えていただいてよかったです」、「心に残るお話でした」、「先月の講演会は素晴らしかったですね、私感動しました」という声が寄せられました。

では、近藤芳一氏による『悲劇の捕虜収容所が国際交流の場へ』は、どんな内容だったのか。

テーマがテーマなので、講演会は静かに始まりました。

近藤芳一講師。前上越日豪協会会長です。10年間会長を務めました。現役の設計事務所を経営しています、

では、ラスト1枚のスライドをお見せしたいと思います。

スライドが投影されると、あっ!という空気が伝わってきます。

しばしの沈黙…

碑に寄り添う男性は、当時学徒動員で工場補助員をしていたH氏です。
中学生だった彼は、学徒や女子挺身隊に一日一個のおにぎりを配る係でした。時に、余ったおにぎりを捕虜にも与えていました。
ところが運悪く、収容所の看守に見つかってしまい、罰として捕虜を拳骨で殴るよう命じられたのです。まだ中学生だった彼は捕虜を殴りました。背の小さかった彼は、飛び上がって殴りました。

戦後、彼は忘れることができないその記憶を背負って生きてきたのです。この52枚目の写真は、平和公園で日本人看守の碑を訪ねたときの姿です。

この写真について、淡々と解説する講師の声に涙する出席者もいました。

この講演を主催した当館事務局の小生もこの1枚には、不覚にも鼻水を垂らしてしまいました。

講師の近藤芳一さんは「お呼びがあれば、このテーマでいくらでもお話ししますよ」と会館をあとにされました。忘れてはいけない直江津の歴史の1ページ。興味が湧いた方は、近藤さんにひと声かけてみてはいかがでしょうか。

投稿日|2023.11.11  ブログ